不良少年という定義

不良に憧れは

不良に憧れる青少年は多いと言われています。本当にそうなのか、自分自身の学生時代と照らしあわせてみると、確かにそれらしき明らかに意識した同級生たちを筆者も見たことがある。ただ見ていれば見ているだけ、恥ずかしいという感情しか思い浮かばなかった。悪さをすれば何故か関係のない自分たちにまで飛び火するなど、正直不良と呼ばれる人たちに対しての風当たりはとても強かったように思える。中学時代はおよそ反抗期となる時代、教師に反発しようと必死になるのかもしれませんが、洒落にならないこともある。

例えばクラスにそうした反社会に憧れて、自我の芽生えから先生イビリが筆者の中学時代にある種流行りめいた出来事が起こった。ちなみに言えば私学の、それも武道系の学校にしてはとんでもない程の問題児が集中していたらしく、度々学校を通して問題児が集まるクラスとまで見られていたほど。そうした経験を経てから、後年に同じクラスで知り合ってから既に10数年の付き合いになる友人と、あの頃の話をする度に出てくるのが、

楽しかったけど、もうあんな時間は勘弁して欲しい。 ていうか、若さって怖いね

という結論に至ったものだ。まぁ筆者は学生時代からここまで達観していたわけではないが、後から忘れたくても忘れられない思い出になるだろうとは大体予想していた。本当に、あの頃のことを今思い出してもよくあそこまでの事をしたものだという一点だけが浮かんでくる。それこそ一時期は担任の先生を退職させる一歩手前までだ。

不良に憧れる、などと言われていますが、それは一種の『自分にできないことをしているから』ということにすぎない。それ以上先の、クローズシリーズなどで描かれる暴行事件ともなると、また別の話になってくる。

不良だった方は見てみてください

不良少年と非行少年

クローズの漫画に憧れる、という人は多い。漫画に影響されて登場人物のような過激な行為に走りたいという人もいる。しかし理性ある行動を取るならば、そこで何をしていいのか、ダメなことなのかは言わなくても分かるもの。それがわからなくなってしまえば、戻れない境界線を跨いでしまって足を踏み入れてはならない場所へ行ってしまう。要するに、『不良と非行の境界線』だ。

不良と非行、どちらも似ているようで実は溝がある言葉で、社会的な意味で見た場合にはどちらを使われるかで全く意味合いが異なってきます。どう違うのかというと、

このようになっている。

何も知らない、世間知らずの子どもが憧れるのは『不良』であり、『非行』に憧れるとしたらそれはダメなことだ。例えばもし犯罪に身を染めれば誰にもほめてはもらえない、むしろ軽蔑されて学校に居づらくなる。不良のつもりが、非行行為を行ったが故に社会的制裁を受ける羽目になってしまったという人は多いでしょう。自分のしていることが不良と思っても、社会的に見れば非行にしか過ぎないとする、そんな風にしか見られないのだ。

いじめもその1つ

例えばいじめを取り上げてみる。AとBがいて、AはBが気に入らないからという理由でいじめを行います。暴力はもちろん、言葉による精神的に傷めつける事はもちろん、友人たちを焚き付けて数での暴力を行っていた。それを見て笑う人がほとんどですが、内情は大半の人が嫌悪すべき行為だと認識しているのです。また関わって自分がいじめられては元も子もないというヒエラルキー的な立場を重んじて、という保守的な思考を持っている人がいます。

いじめもまた一種の『不良』という行為に値すると思いますが、社会的な見解からすれば『非行』行為に該当すると見られるようになった。いじめのせいで人が死亡する、または自殺にまで追い込まれる、なんて話も珍しくなくなったほど。自分のしたことで人一人の命を奪ったとなっては、もう取り返しがつかなくなります。

日本は少年法があって実刑こそありませんが、いずれ少年法などという生易しいものは無くなったとしたら大人と同じように罪を償う必要がある。アメリカでは殺害を起こした未成年でも問答無用で死刑判決が下されるくらいだ。それを本当に格好良いと思えるものではない。

たのしいヤンキー

意外と考えていることは

不良行為に憧れているといっても、実際には嫌悪すべき行為だと考えている人間は多い。している人間は勝手にさせておけばいい、そう見なしているものです。賛同こそしないが、反対もしない、自分の良いポジションを守ろうとするものだ。そう考えればクローズの世界で繰り広げられる行為を是とする人は、実際のところは現実ではありえないと言って良いはず。

まぁフィクションと言ってもやっていることは大体現実にやれば犯罪行為と罵られるものばかりですから、やろうという人はまずいない。